マウント・シャスタを好きな理由

私がはじめてマウント・シャスタを訪れたのは、1999年12月。

それから、ほぼ毎年訪れています。

 

この地が好きなのは、もちろん故郷のように感じることと、Telosの拠点であること(これについては、Telos Japan®のブログもご参考に)が理由でもあるのですが、毎回来るたびに思うのは、

 

●楽だということ

存在するのに楽だということ。自分らしくいられるということ。日本では、様々な土地に行きますが、住んでいるところも含めて、何か別の者になることを強要されているようで居心地がよくないと感じることがあります。しかし自分はここにいる必要があるので、今ここにいるという認識で生活しています。それでも、そこにいるなら、そこでの生活や滞在を満喫しよう、と積極的に生きています。マウント・シャスタ以外でも、ニュージーランドなどは、そのような楽な感覚を私に感じさせてくれます。

 

●自然が圧倒的に優勢であること

人間社会のコミュニティーもありますが、ここは冬には雪深い世界になるので、自然界のパワーが圧倒的に優勢です。人間によって開発されてしまう地域もありますが、経済優先の雰囲気が、日本に比べて弱いように感じます。なんといってもこの地に君臨するマウント・シャスタの存在は偉大です。

 

●意識がクリアでいられること

クリアに考えることができ、判断までの時間が短い。余計な要素が介入しないので、物事はシンプル、何が適切であるのかが明らかである点。こういったところが、私が一番この地が気にっている点です。私利私欲、我欲が生き残れない世界なのかもしれません。こういった点は、ニュージーランドやハワイ島のマウナケア、スペインのモンセラートなどでも体験しているので、それらの土地も大好きです。特にモンセラートは、二度訪れていますが、毎年行きたくなる土地でもあります。

 

こういった点を、人々はパワースポット、エネルギーボルテックスいうパワフルな言葉で形容しているのかもしれません。私にとっては、パワーフルな土地やエネルギーというよりも、より自分を表現できる、また自分らしくいられる、あなたはここ(地球)にいていいのだと確信させてくれる重要な土地です。

 

それでもなお、日本に住み続けている理由は、日本人の勤勉で誠実、思いやりのあるDNAと機能的な社会、そして繊細な自然界、さらに、これがなくては!と思わせる九州産大豆の納豆(仙台のパール納豆も大好き)と梅干、味噌が大好きだから。納豆と味噌が私の健康を作ってくれています。

 

そしてどこにいても、自分の感覚は変わらなくなってきていて、環境(自然、土地の波動)に左右されない人生になっているのを感じます。そうした中、行きたいところ、居たいところ(時には自分の家、ベッドの中)に居られれば、それだけで幸せだと感じる人生です。

霊的な使命を知る

「私の霊的な使命を教えてください」

 

個人セッションの際に、よく尋ねられる質問です。

リーディングでも、チャネリングでも。

 

自身の使命は、他者からの情報で知るものではなく、自身の内側から湧き上がってくるものです。

自身の中に見つけるための手助けはできても、使命が何であるか、という具体的なものを与えることはできません。

 

そして、それを知るためには、その前にクリアしておかなければならないテーマがいくつか存在します。

 

●エネルギーを浄化する

 感情体やマインドに不要なエネルギーがたまっていては、使命が訪れることは難しいでしょう。

 

●使命遂行のスタートラインに立つ

 使命を遂行するためには、十分なエネルギーと不屈の精神が必要です。

 

●スピリチュアルな素養を備える

 使命を知り、それを遂行するためには、スピリチュアルな理解力やスタンスが必要です。

 

etc.

 

 

最近出会ったケースでは、その人は、まず自分自身の感情体を浄化するためと、次のステップに進むために、高次のメッセージからなるリーディングとボディワークのヒーリングを受けて、次のステップへの準備を進めました。

教育について

世の中でいろいろなことが起こることによって、子ども時代からの教育や生涯教育の大切さについて、語られるようになって久しい感じがします。

 

通信制大学で心理学と教育学を学んでいますが、テキストを読んでいて感じたことがあるので書いてみます。(直接テキストの内容と直結することではないのですが)

 

社会も大人たちも学校も教師も親たちも、子どもたちに「教える」という「インプット」の意識で接していると思います。子どもたちが生まれながらに「エンプティ」で、そこに社会を作ってきた自分たちの「知識」を入れることによって、子どもたちが「それを身につける」少し発展的に「それを土台として、新しいものを生み出す」ことが期待された教育。子どもたちが知識を得、理解し、何かを生みだしたとするならば、今までの「教育」のたまもの。

 

「子どもたちは、すでに無限の叡智の中に存在している。」スピリチュアルな生き方をしている人であれば、誰もが同意するだろう概念、しかし具体的には説明しがたい概念。実際は、子どもたちは日々、すでにこれを体現しています。

 

段階的に子どもたちが正解(ここでは実験の結果と一致する予測)に達するよう導き出された授業について、私は学んでいます。教育者は、子どもたちがその能力を高めた、と捉えているようですが、実際は、子どもたちにはそれらの「能力」がすでに備わっていて、本人たちもそれを「いつ」「どこで」「どのように」引き出せばいいのかを学ぶことだけが、人間としての学習のポイントなのだと思いました。その能力が発揮されるためには、段階的なプロセスが必要で、そのプロセスを見つけ、子どもたちに提示することだけが「教育」の役割なのかもしれません。

 

教育者のある人々は、それに気づいているでしょう。しかし、社会全体が、子どもたちを取り巻く大人全員が、それに気づいて「本来持っている能力を引き出すためのきっかけ作り」だけを意識的に行うことで、子どもたちにとって、心地よく学べる、また安心して大人になれる環境が生み出されるのではないかと思いました。

 

おそらく「能力」を引き出すための「段階」は、子どもたち一人ひとりによって違うのでしょう。身近な大人たちの仕事は、彼らの「成長のステップ」を見つけ出すことに尽きるのかもしれません。

 

子どもたちは「エンプティ」ではなく、たくさんの宝物を内に秘めた魔法の子どもたち。彼ら自身のために、宝物を見つけ出し、彼らの生きる未来と社会のために、その宝物をみなと共有できるように、教育というものが見直されることが大切なのでしょう。

旅先で出会う素敵な人たち

2018年12月に放送された《東京→パリ》の旅ドキュメンタリー番組を少しずつ見ています。(大いなる鉄路)

最初は、旅の景色などを見たいと思っていたのですが、列車で旅をする旅行者や列車に勤務しているスタッフにフォーカスが当てられていて、それがとても心にしみる展開になっています。(まだ第1話を見ただけですが)

 

主に登場するフィンランド人の女性は、自分も旅をしていたらきっと友だちになるだろうな、と思う人でした。中国人女性や赤ちゃん連れ、ワンちゃん連れ、北極の道路工事をするために移動している男性、乗車時には怖い表情の女性スタッフ(車掌さん)も列車の中では、瞳の美しい素敵な女性でした。(モスクワでの降車時は、とっても素敵な笑顔) 偶然列車の窓に反射した撮影しているカメラマンの男性も優しそうないい人、という雰囲気でした。

 

そうして旅をする人々を見ていて、自分もさまざまな旅先で出会ったたくさんの人々のことを思い出していました。富豪層からほぼホームレスまで、男性も女性も、老若男女、人種も多種多様、さまざまな宗教や信念を持っている人びと、本当にいろいろな人と言葉を交わしたり、一緒に時間を過ごしてきました。それぞれの人が魅力的で、もちろん嫌なことも多々ありましたが、時間がたつと忘れるというか、気にならなくなるので、世界中にさまざまな人々があふれかえっているこの世界は、結構好きです。それぞれの言い分も理解できますし、無条件で、みな愛している、と突然叫びたくなるような感情に覆われることもあります。

 

番組内で、フィンランド人の女性が、フィンランドの子犬のおとぎ話をしてくれるのですが、彼女は行く先々で「優しく親切な人々」ばかりに出会うことを、友人に「どうして?」と質問したら、友人は「あなたが優しい」からだというようなことを話してくれた、と言います。彼女が「周りに優しさを運んでくる」といったような。本当にその通りだと思いました。その女性は見るからに、それ以外の何者でもなく、彼女に限らず、優しい人は周りを優しくするものだと、私も身の回りで経験済みです。そういう人々は憧れでもあり、そういう人になりたいな、といつも思っています。

 

たぶん2013年のお正月だったと思います。ニュージーランドにかつてオーストラリアの銀行家が建てた唯一とも言えるヨーロッパ風のお城(宮殿といった方が近いかもしれません)があります。ヨーロッパの有名なお城ほど大きくないのですが、個人が建てた屋敷としては十分な広さのところです。それが何かの理由で、その建て主から、今の所有者に変わり(たしかその間、かなり荒れていたということです)新しく所有した家のご婦人が、特に庭や周りの自然環境を手入れして、今ではホテルとして営業しているところに宿泊しました。

 

私は一人だったので、珍しがられましたが、ニュージーランドの若いカップルと仲良くなり、一緒に食事をしたり、軽い雑談をしていました。そこではディナータイムに、この城の歴史の説明があり、よく憶えていないのですが、たぶんオーナーではなく常連のお客様の紳士がホスト役で、ディナーが始まったように記憶しています。彼は家族と来ていて、他はご夫婦カップルなどが多かった感じです。もちろん仲良くなったニュージーランドのカップルもいました。

 

あるオーストラリアの男性が左隣に座り、私に「日本の捕鯨やイルカ漁をどう思うか?」と結構シビアな質問をしてきました。私自身、クジラやイルカの本来の使命を知っていますし、動物たちの命の問題には、結構シビアな意見を持っていますが、反対派の彼と日本の政策と、両方とも理解できる、自分にできることはどんなことがあるのか etc.といったような返事をしたように記憶しています。もちろん私の英語力ですから、たどたどしく、少ない語彙で、どのくらい通じたかわかりませんが、最初は少しケンカ腰だった男性の態度が変わり、最後は笑顔になったので、よくわからないけれど、まぁいいか、と私は思いました。もしかすると、この女性は英語がよくわからないから、これ以上何を言っても無駄かな?とあきれられたのかもしれませんが。(笑)

 

その男性と同席していた奥様と周りの人々が一瞬凍り付くような雰囲気で始まった私たちの会話は、何とか普通のディナーの場へと移行していきました。その後、そのオーストラリアの男性から「オーストラリアへ来たら、ぜひうちに遊びにおいで」と連絡先をもらいました。もちろんお隣の奥様も、私の顔を見て微笑んでいました。よくわからない展開でしたが、ありがとう、とそれを受け取りました。(本当に行くつもりはなかったですけど。よくわからないな、と)

 

彼らが先に退席したか、他に興味が向くかしたときに、右隣の人と筋向かいに座っていた友人になったニュージーランドのカップルから「大丈夫?」と声をかけられました。彼らの話を聞くと、どうやら彼らは、私が激高し、議論になる、と想像していたようです。議論も何も、それをするだけの英語力が私にはない、とも思いましたが、そのオーストラリア男性の言いたいことはわかりますし、違った文化でそういう意見になるのもわかります。クジラやイルカ漁について「これは日本の文化!」と言い張るつもりもありませんし、ただクジラやイルカが、その使命を全うできるよう、自分にできることはやりたい、ということ以外何もないので、どうしたものだか、という感じだけでした。

 

特に右隣の人は、何か感銘を受けたらしく、それを見て私は、日本人の感性は、世界でいい触媒作用をもたらすのかもしれない、といろいろな日本の方に世界に出てほしいな、と思いました。

 

そんなことを思い出しながら、番組のフィンランドの女性がモスクワでカメラマンに何度もサヨナラをする姿を見て、あ〜久しぶりに、私も旅に出たい!という気持ちになりました。いろいろな人と出会い、そして私も実は「優しい人、親切な人」にたくさん会っているので、そういう人々のいる世界を、これからも愛していきたいな、と笑みが浮かんできています。

感情との付き合い方

先日、いくつかの感情が浮かんで来る経験をしました。

これは誰にでもあることで、人間として生きていると、自然に起こることでもあります。

肝心なのは、そうしたときに、どのように過ごすかということですね。

そして、すべての人が同じ過ごし方で快適であるとは限らないのは、大人になれば誰もが感じることでしょう。

 

私個人の感情との付き合いは、子ども時代からいつも何か「正しいやり方」を探していたと言えるかもしれません。

子ども時代から、と書きましたが、正確には、子ども時代には何をどのようにすればいいのか、また感情を感じることの状況が、一般的に知られている範囲に収まることがなかったので、大人になってから、何が起こっているかを理解するまで大変でした。

 

何に例えるとしっくりくるか考えてみていますが、なんでしょうか・・・どのように反応しても、周りからは正しいと認めてもらえない感覚というか、上も下も右も左も区別がつかないような、全面同色の箱の中で浮かんでいる感じ、とでも言ったらいいでしょうか、そのような感じだったと思います。

そして、感情に対する理解や反応がそのような状況だったので、それに対してもまた理解できない感情が湧き上がってくる、という感じでした。

 

大人になって、それでも最初は、まだよくわからない状況の中でもがいていて、やがて精神世界や瞑想、チャネリングといったものに出会い、少しずつ自分の感じていることを理解できるようになり、自分が感じている感情との付き合いが、今までよりは若干ましになっていくことを経験するたびに、安堵感と人生に対する信頼を持つことができ始め、何よりもうれしかったことを今も記憶しています。

 

感情に対する、特に一般にネガティブと言われる感情、怒り、悲しみ、恨み、妬み、自己卑下、etc. そして無力感、絶望感など、感情と言われるものの範囲をより広げて見てみた場合の、私たちの内側から湧き上がってくるエネルギーにどう向き合い、とらえ、理解し、対応していくか、また表現していくか、そういったことを、自然にスムーズに、取り立てて努力せずできるようになってきたのは、本当にここ数年のような気がします。

 

それら、感情との付き合い方についての考え方、やり方、エクササイズ、内的ワークをたくさん見てきましたし、取り入れてみました。

ある時はそれが効果的だと感じても、やがてそれがあまり効果を発揮しなくなり、また別のことを試してみたり、と試行錯誤を繰り返しました。

 

私自身は、最近ではよく聞かれるようになった「ハイリー・センシティブ・パーソン」HSPであり、いわゆるチヤネラー体質で、自分の感情ももちろんありながら、他者の感情も、自分の内側に感じとるタイプの人間ですから、その仕組みを知らなかった子ども時代や20代の頃は、とても苦労しました。

 

30代になってから、いろいろなメソッド、スキルを試してみたり、ツールを使ってみたりして、毎回、これで行ける、と思うのですが、しばらくするとそれが効果を発揮しなくなり、また別のものを探してみる、ということの繰り返しをしていました。

 

それが40代になって、アセンデッド・マスターと直にワークできるようになり、自分の中から独自のやり方が生まれるようになってから、感情との付き合いがとても楽になりました。

それでも、次々とチャレンジングな出来事が起こり、懸命に対処するような状況が続いていました。

自分の成長にについては、いつもいつも全力で向かいました。

 

50代になってから、この感情が出てきたときは、こう考え、こうする、といったようなメソッドが生まれ、55歳くらいになって、やっとどんな感情を感じても、そしてそれがたとえ他者のものであっても、社会の集合的なもの、人類の集合的なもの、地球やほかの生き物たちの感情とは呼べないまでも、変容を必要としているエネルギーであっても、「何も特別なことはせず」ただ「本来のもの」、本質的なエネルギー「光」に変換できるようになったように感じています。

 

本当に不思議なのですが、必要なのは、地上レベルでいうところの「時間」と私の「意識」だけで、それは見事に宇宙的な純粋なエネルギーへと変換されていくのです。

 

このような人生は面白いものですね。

最初は、苦しむ自分を救うために取り組んできたことが、今こうして、ある種の「浄化」プロセスの一部を担っているのですから。

 

そして、このやり方は、言葉では説明できないものであり、仮に言葉で伝えたとしても、誰もが同じようにできるものではないのかもしれない、と思います。

今まで多くの素晴らしい教師たちによって伝えられた「感情との付き合い方」も、言葉通りにできたわけでもなく、最後は自分の内側から生まれてきたものが「すべて」だった、という結論でした。

 

しかしそれでも「自分の内側から答えを引き出す。やり方を生み出す」ということを実現するための「周波数」は、お伝えできると感じています。

実際にそうして、伝わっていることを目にしていますから。

肉体を伴ったアセンション

「アセンションとは、何ですか?」

「アセンションについての説明は、どれが正しいですか?」

 

時々、そういった質問を受けます。

アセンションは何かと問われたときの私の答えは、こうです。

 

「個人的なアセンションとは、私たちが「自分」だと思っている存在の全意識が、肉体も含め、一つに合一すること。人間としての実感する部分(肉体、思考、感情、感覚など)が、自己の聖なる意識と完全に一つになること」

 

そして、アダマとアナマ(レムリアの光の都市Telosのアセンデッド・マスター。詳しくは、オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著「レムリアの真実」)が説明するとおり「アセンションとは、地上にある存在の一部が神聖なる自己との合一を表すのであり、次元上昇を表すのではない。次元上昇とは、アセンションしたときに手に入る結果であるにすぎない」という教えに完全同意しています。この教えは、前述の本にある、というより、2008年にオレリア・ルイーズ・ジョーンズが主催し、ファシリテートした「イニシアティック・ジャーニーⓇ」の中で、オレリアがアダマからのメッセージとして伝えたものです。そして、この教えは、書かれなかった「Telos Vol.4」(未著)のサブタイトル「Divine Union」(神聖なる合一)が示すように、Telosの教えの根幹をなしています。

 

真理は一つ、と言われます。ではなぜ、多くのスピリチュアルなチャネル、ヒーラー、ティーチャーなどが、「アセンション」について、それぞれ独自の説明をしているのでしょうか? 場合によっては、異なっているようにも感じるかもしれません。

人によって、「それらのうち、どの説明を信じればいいのでしょうか?」という質問をいただきます。

 

私の答えは、こうです。

 

「あなたのハートが、一番しっくりくる、受け入れられると感じる説を、今は信じていいのではないでしょうか? また、アセンションについての理解を、自分自身の内側から引き出すような内的ワークをすることをお勧めします。そして、近い将来、信じる説が変化していってもまったく問題ありません。あなた自身が進化していくわけですから、自分にフィットする考え方や理論が変化しても、まったく問題ではありません。自分の内面の変化に伴って、いつもその瞬間に「これだ」というものを受け入れて行けばいいのではないでしょうか? そして、あなた自身が進化成長すれば、自ずと自身の内側から、あなた独自の「アセンションとは何か」というものが現れてきます。それまでは、その時々に「これだ!」と感じる説を受け入れて、内的ワークを進めることが一番いい、と私個人は思います」

 

アセンションに限らず、どんなことも、それを説明しようとすれば、多くの面があり、また意識のさまざまなレベルから観ることができます。それらすべての説について、それを信じることや受け入れることに対して、ニュートラルに、またリラックスして観ることができる精神状態を持っていることが重要に思います。さらには、いつでも手放せるように。

 

結局のところ、アセンションするときに、すべては明らかになりますので、それまで「アセンションとは何か」ということにこだわるより「アセンションするために何をすべきか」または「何をすべきでないか」あるいは「する、しないを超えた《存在する》ということ」に集中するのが、いいと思っています。

 

今アセンションに興味を持つほとんどの人々は、今の人生を「輪廻の最後の人生」にすることを計画していると思います。(同時に、人生の過ごし方では、その計画を先延ばしにする人々もいるでしょう)

最後の人生であれば、「人間として生きることの喜び」や「他の次元では経験することのできない感情、感覚、美など」を存分に味わって、ともにこの次元に生きる人々や生きものたちを理解し愛し、地上の美を堪能して、アセンションまでの道のりを彩ることをお勧めしたいと思います。

 

 

このメッセージを発信するにあたり、昨日、「あなたの次のステップ、次に始めるワークのガイダンスを送ります」と個人的にメッセージをくれたアダマに感謝します。徐々にそのガイダンスが地上で形になりつつあります。

 

また、こういったメッセージが自分の中から生まれる直前、ほとんど何かの触媒作用が働きますが、今回のそれは次の本でした。

「クライオン ジャーニー・ホーム」マイケル・トマスと7人の天使の物語 リー・キャロル著

ずいぶん前に買った本でしたが、長い時間をかけて、読んでいます。

(Telos JapanⓇの活動をするようになってから、オレリアの本に集中していたので、あまり他の本を読む時間を取っていませんでした。今年(2018年)あたりから「積ん読」リストから本を取り出し、キャッチアップをしています。いい刺激になっています)

本に限らず、人間の活動には、何らかの触媒が働いていることが多く、私はそれを大切にしています。これが人間界に生きていることの素晴らしさの一つだと思っています。

 

Telos、アダマ、アナマ、オレリアについて、詳しく知りたい方は、

Telos JapanⓇ

ラベンダー*シャスタ

1999年12月に初めて訪れてから、ほぼ毎年訪問している「マウント・シャスタ」

回数では20回を超えています。

 

どうして引っ越さないのか、と考えることもありますが、

いつも、シャスタに着くと、一週間で家に帰りたくなります。

家で少しリラックスして、またすぐ戻って来たいな、と。

「どこでもドア」がほしい、と真剣に思ってしまいます。

 

今年(2018年9月)は、それが5日目に来ました。

 

自分の家は、誰にとっても心地いいわけではないのは明らかですが、

私にとっては、天国なのだな、と思ったりします。

 

そして、いつも食べている納豆(九州産大豆&北海道産大豆)を食べたいな、と。

そして、うちで飲むヒマラヤのオーガニック豆のコーヒー。

ほーっと息をついて、録画してあるドラマを眺めながら、ゆったりと時間を過ごして、

またシャスタに戻って来たい、と。

 

「おうちモード」の波が押し寄せ、去って行って、

やっと「シャスタへようこそ」と自分に言える感じがします。

その後は、一カ月くらいは、シャスタにいても大丈夫。

体が日本食を求める頃、長い長いフライトで日本へ。

成田や羽田に着いて「帰って来たぁー」と喜ぶかというと、そうではなく

「シャスタに戻りたい」帰りたい、と言っている自分がいます。

 

いつも思います。

シャスタとうちが「隣町」だったらいいのに。

 

食べ物と、微妙に種々のことが、私を日本に呼び戻しますが、

シャスタにいると「ここが自分の居場所」と感じます。

ここが家なんだなぁ、と。

 

シャスタの乾燥した空気も辛いかな。

うちの町の湿度は適度でいいです。

肌も髪も、特に肌は、乾燥は辛いわぁ。

 

ゆる〜く書いていますが、シャスタへは、Telos JapanⓇイニシアティック・ジャーニーⓇで行きました。

オレゴン州のクレーターレイクへも行きました。

 

「ラベンダー*シャスタ」の意味について、書きましょうね。

 

昨年は、体調が思わしくなく、長旅に耐えられそうになかったので、

シャスタへ行かなかったのですが、

今年2年ぶりに行って感じたのは、着実に「シャスタの波動が上がっている」ということ。

 

マウント・シャスタの上空に光の都市があって、

それはパープルの光のピラミッドのようで、やがてそれが山に降りてきて、

五次元以上の世界と、地上の三次元の世界が一つになっていく。

三次元の波動が上昇し、五次元に統合されていくプロセスの中に、今私たちは生きている。

 

今年(2018年)2年ぶりに訪問したシャスタは、

光の都市、レムリアの光の都市「テロス」の高次面が、

すでにマウント・シャスタと重なり合っているように、私には感じられました。

山全体に、そしてその麓の町にも。

三次元と五次元は、本当に重なり合っていて、そのベールは極めて薄い。

人によっては、すでにベールは消えている、そう感じました。

 

準備ができた人びとには、ほんの少し意識をシフトさせるだけで、

そこは、シャスタは、もう五次元の世界。

もう一切の制限も感じないような、そういった世界。

 

それを楽しめる人々が、爆発的に増えてきた、そう感じた訪問でした。

 

私の内なる目で観たシャスタは、ラベンダーのベールをかけられた神殿。

そのベールは、広く山裾を覆って、マウント・シャスタの町を越え、

周りの地域にも広がっているように感じました。

 

来年は、どんな姿を魅せてくれるでしょうか。マウント・シャスタ

来年は、5月にLight in LightⓇのアセンション・リトリートⓇを

9月にTelos JapanⓇのイニシアティック・ジャーニーⓇを開催します。

ブログをはじめるにあたって

レムリアンハート・ガーデン へようこそ。

 

今まで、いろいろなブログを書いてきました。

アセンションについて ヒーリングについて Light in LightⓇTelos JapanⓇの活動について 

旅行先について パワースポットについて 好きなものや好きなこと、大好きな人々について

それぞれにブログを創るようにして。

 

この「レムリアのハートの庭」では「わたし」という存在にフォーカスして、

幼かった頃のことも 生まれる前のことも 前世についても 仕事についても

遊びや趣味についても 世の中のことについても 地球の未来についても

アセンションやヒーリング、アセンデッド・マスターのことも

 

思いつくまま、気の向くまま 自分が手にしたもの 感じたこと 考えていること など

どんなことでも書いていきたいと思っています。

 

よかったら、おつきあいください。

1