教育について

世の中でいろいろなことが起こることによって、子ども時代からの教育や生涯教育の大切さについて、語られるようになって久しい感じがします。

 

通信制大学で心理学と教育学を学んでいますが、テキストを読んでいて感じたことがあるので書いてみます。(直接テキストの内容と直結することではないのですが)

 

社会も大人たちも学校も教師も親たちも、子どもたちに「教える」という「インプット」の意識で接していると思います。子どもたちが生まれながらに「エンプティ」で、そこに社会を作ってきた自分たちの「知識」を入れることによって、子どもたちが「それを身につける」少し発展的に「それを土台として、新しいものを生み出す」ことが期待された教育。子どもたちが知識を得、理解し、何かを生みだしたとするならば、今までの「教育」のたまもの。

 

「子どもたちは、すでに無限の叡智の中に存在している。」スピリチュアルな生き方をしている人であれば、誰もが同意するだろう概念、しかし具体的には説明しがたい概念。実際は、子どもたちは日々、すでにこれを体現しています。

 

段階的に子どもたちが正解(ここでは実験の結果と一致する予測)に達するよう導き出された授業について、私は学んでいます。教育者は、子どもたちがその能力を高めた、と捉えているようですが、実際は、子どもたちにはそれらの「能力」がすでに備わっていて、本人たちもそれを「いつ」「どこで」「どのように」引き出せばいいのかを学ぶことだけが、人間としての学習のポイントなのだと思いました。その能力が発揮されるためには、段階的なプロセスが必要で、そのプロセスを見つけ、子どもたちに提示することだけが「教育」の役割なのかもしれません。

 

教育者のある人々は、それに気づいているでしょう。しかし、社会全体が、子どもたちを取り巻く大人全員が、それに気づいて「本来持っている能力を引き出すためのきっかけ作り」だけを意識的に行うことで、子どもたちにとって、心地よく学べる、また安心して大人になれる環境が生み出されるのではないかと思いました。

 

おそらく「能力」を引き出すための「段階」は、子どもたち一人ひとりによって違うのでしょう。身近な大人たちの仕事は、彼らの「成長のステップ」を見つけ出すことに尽きるのかもしれません。

 

子どもたちは「エンプティ」ではなく、たくさんの宝物を内に秘めた魔法の子どもたち。彼ら自身のために、宝物を見つけ出し、彼らの生きる未来と社会のために、その宝物をみなと共有できるように、教育というものが見直されることが大切なのでしょう。

感情との付き合い方

先日、いくつかの感情が浮かんで来る経験をしました。

これは誰にでもあることで、人間として生きていると、自然に起こることでもあります。

肝心なのは、そうしたときに、どのように過ごすかということですね。

そして、すべての人が同じ過ごし方で快適であるとは限らないのは、大人になれば誰もが感じることでしょう。

 

私個人の感情との付き合いは、子ども時代からいつも何か「正しいやり方」を探していたと言えるかもしれません。

子ども時代から、と書きましたが、正確には、子ども時代には何をどのようにすればいいのか、また感情を感じることの状況が、一般的に知られている範囲に収まることがなかったので、大人になってから、何が起こっているかを理解するまで大変でした。

 

何に例えるとしっくりくるか考えてみていますが、なんでしょうか・・・どのように反応しても、周りからは正しいと認めてもらえない感覚というか、上も下も右も左も区別がつかないような、全面同色の箱の中で浮かんでいる感じ、とでも言ったらいいでしょうか、そのような感じだったと思います。

そして、感情に対する理解や反応がそのような状況だったので、それに対してもまた理解できない感情が湧き上がってくる、という感じでした。

 

大人になって、それでも最初は、まだよくわからない状況の中でもがいていて、やがて精神世界や瞑想、チャネリングといったものに出会い、少しずつ自分の感じていることを理解できるようになり、自分が感じている感情との付き合いが、今までよりは若干ましになっていくことを経験するたびに、安堵感と人生に対する信頼を持つことができ始め、何よりもうれしかったことを今も記憶しています。

 

感情に対する、特に一般にネガティブと言われる感情、怒り、悲しみ、恨み、妬み、自己卑下、etc. そして無力感、絶望感など、感情と言われるものの範囲をより広げて見てみた場合の、私たちの内側から湧き上がってくるエネルギーにどう向き合い、とらえ、理解し、対応していくか、また表現していくか、そういったことを、自然にスムーズに、取り立てて努力せずできるようになってきたのは、本当にここ数年のような気がします。

 

それら、感情との付き合い方についての考え方、やり方、エクササイズ、内的ワークをたくさん見てきましたし、取り入れてみました。

ある時はそれが効果的だと感じても、やがてそれがあまり効果を発揮しなくなり、また別のことを試してみたり、と試行錯誤を繰り返しました。

 

私自身は、最近ではよく聞かれるようになった「ハイリー・センシティブ・パーソン」HSPであり、いわゆるチヤネラー体質で、自分の感情ももちろんありながら、他者の感情も、自分の内側に感じとるタイプの人間ですから、その仕組みを知らなかった子ども時代や20代の頃は、とても苦労しました。

 

30代になってから、いろいろなメソッド、スキルを試してみたり、ツールを使ってみたりして、毎回、これで行ける、と思うのですが、しばらくするとそれが効果を発揮しなくなり、また別のものを探してみる、ということの繰り返しをしていました。

 

それが40代になって、アセンデッド・マスターと直にワークできるようになり、自分の中から独自のやり方が生まれるようになってから、感情との付き合いがとても楽になりました。

それでも、次々とチャレンジングな出来事が起こり、懸命に対処するような状況が続いていました。

自分の成長にについては、いつもいつも全力で向かいました。

 

50代になってから、この感情が出てきたときは、こう考え、こうする、といったようなメソッドが生まれ、55歳くらいになって、やっとどんな感情を感じても、そしてそれがたとえ他者のものであっても、社会の集合的なもの、人類の集合的なもの、地球やほかの生き物たちの感情とは呼べないまでも、変容を必要としているエネルギーであっても、「何も特別なことはせず」ただ「本来のもの」、本質的なエネルギー「光」に変換できるようになったように感じています。

 

本当に不思議なのですが、必要なのは、地上レベルでいうところの「時間」と私の「意識」だけで、それは見事に宇宙的な純粋なエネルギーへと変換されていくのです。

 

このような人生は面白いものですね。

最初は、苦しむ自分を救うために取り組んできたことが、今こうして、ある種の「浄化」プロセスの一部を担っているのですから。

 

そして、このやり方は、言葉では説明できないものであり、仮に言葉で伝えたとしても、誰もが同じようにできるものではないのかもしれない、と思います。

今まで多くの素晴らしい教師たちによって伝えられた「感情との付き合い方」も、言葉通りにできたわけでもなく、最後は自分の内側から生まれてきたものが「すべて」だった、という結論でした。

 

しかしそれでも「自分の内側から答えを引き出す。やり方を生み出す」ということを実現するための「周波数」は、お伝えできると感じています。

実際にそうして、伝わっていることを目にしていますから。

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